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サントリーの社員研修を一般公開!本気“シャイン研修”、はじめました【イベント潜入レポート】

シャインな皆さま、おつかれさまです。「マル・デ・シャイン」セミナー潜入取材班です。

サントリーのさまざまな企業活動をご体験いただきながら、皆さまとサントリー社員が「まるで社員」同士のような気持ちでサントリーや社会のこれからを一緒に考えていこうというプログラム「マル・デ・シャイン」

今回は、6月23日(水)に開催されたオンラインセミナー「サントリー創業の精神と歴史を学んでみなはれ」の潜入レポートをお届けいたします。

”まるで社員”だから「マル・デ・シャイン」とは言うものの、今回のセミナーは本当の社員研修をベースにした、いわば”ガチ研修”!
企画班の「これ、本当にお客様向けにやっていいんだろうか…」という若干の心配を含みつつ始まった今回のセミナーですが、ここでしか知ることができないサントリーの「あんなこと」や「こんなこと」が盛りだくさんとなりました。
当日の模様は、現在、アーカイブ映像を配信中ですので、舞台裏やダイジェストをご紹介するこちらの記事とあわせて、気軽にお楽しみいただければ幸いです。

「スコール!」から始まる“シャイン研修”

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午後7時。
画面上には、すっかりお馴染み(!)、進行役を務めるマル・デ・シャイン企画担当のウエダさんと、本日の講師を務めるタンさんの姿が。
タンさんは、サントリー社員の社内研修を行うキャリア開発部に所属していて、実際に社内研修の講師も担当しています。
ちなみに出身が広島県で「カープ女子」でもあります。

そんなカープ女子・タンさんと、ウエダさんにより今回の研修をお送りしてまいります。

ではここから、早速本題へ……と思いきや、まずはここで「スコール!」タ~イム!
「スコール!」とはサントリー流乾杯の掛け声のこと。
いつもはセミナーの終盤に設けているスコール!タイムですが、今回は参加される皆さんに少しでもリラックスして“シャイン研修”を楽しんでいただけるように……ということで、このような形となりました。
この記事を読んでいる皆さんも、どうぞお好きな飲み物を片手にお楽しみくださいね。
それでは皆さんご一緒に!

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「スコール!」

創業期、「やってみはなれ」と「利益三分主義」

お気に入りの飲み物でひと息ついたところで、今度こそようやく“シャイン研修”に入っていくのですが(笑)、
ここで、突然ですがクイズです!

第1問:この人は誰でしょう?

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サントリーに詳しい方はご存じかもしれませんね。
正解は……そう、「サントリーの創業者・鳥井信治郎」です!

タンさん曰く、鳥井信治郎の人となりを簡潔に表すと次の3つのキーワードになるそうです。

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そして、こうした鳥井信治郎の人となりが、以下のような2つの創業精神のキーワードとして形を変えてサントリーという会社に受け継がれていきました。

●やってみなはれ
●利益三分主義

『やってみなはれ』は聞いたことがある方も多いかと思いますが、『誰もやらなかったことに挑む。常識を疑い視点を変え、考えぬいて、ひたむきに行動する』というチャレンジ精神を表した言葉です。
『利益三分主義』というのは、商売で得た利益を『自分の事業』『お客様』、そして『社会』の3方向に還元していこうという精神でして、『お客様』や『社会』にも自分たちの利益を還元しようという活動は、サントリーがずっと力を入れて取り組んできたことでもあります。」(Byタンさん)

1899年、大阪に「鳥井商店」を開業して以来、日本に洋酒文化を根づかせたいという思いのもと、「やってみなはれ」の精神で赤玉ポートワインをはじめとする、現代にもつながる数々の商品を世に送り出し続けた鳥井信治郎。
「利益三分主義」の一環としては、戦前から社会福祉法人を設立するなどの取り組みをしていたそうです。
ちなみに、1942年には会社に「神仏課」という部署を設置したらしいのですが、気になる方はぜひ、アーカイブ映像でタンさんの説明を直接お聞きください!(ゴメンナサイ……鳥井信治郎の幼少期のエピソードなど、この記事では泣く泣くカットしたお話しもアーカイブ映像ではすべて知ることができますので、お時間がある方はぜひ!)

とはいえ、それだとこの記事を読んでくださっている方に申し訳ないので、ここで初期のサントリーに関する豆知識を一つご紹介します。

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「サントリーには昔、『赤玉楽劇座』というオペラ団がありました。鳥井信治郎は宣伝に非常に熱心で、こだわりも持っていた人で、当時、若者の憧れの的だったオペラ団をお酒の会社が持つということに、世間の人々もびっくりしたそうです。

『ぶどう酒もウイスキーも舶来のもんや。異国情緒かもし出さなあかん』

という言葉に代表されるように、外国のお酒を日本に根づかせるためには、日本人の生活や文化を変えていくところから始めなければいけないと鳥井信治郎は考えていたようです。そして、そのこだわりの一端が『赤玉楽劇座』という形で表れたのです」(Byタンさん)

「赤玉楽劇座」、どんな演目を披露していたのか、観てみたかったですね~。

戦後、発展への胎動

続いて話は、戦後の発展期へと移ります。

この時期、サントリーでは「トリスウイスキー」を発売開始し、全国各地に「トリスバー」が誕生。PR誌『洋酒天国』も発刊され、大きなブームとなりました。
利益三分主義の活動としては、(財)食品化学研究所(現在のサントリー生命科学財団)を設立するなど、学術分野での社会還元も開始されました。

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ちなみに、上の写真は『洋酒天国』の表紙を集めたものなのですが、よ~く見てみると、PR誌にも関わらず、表紙にサントリー商品がほぼ登場していないんです。気づかれた方はいらっしゃるでしょうか?
その理由は、この雑誌で人々の生活に貢献したいという思いから作られたもので、「遊び心と知的センスを大事にしたい」という方針が徹底されていたからだそう。
「今でも飾りたくなるようなオシャレな雑誌」というタンさんの言葉に、深くうなずいてしまいました。本当にセンスのよさが光っていますよね~!

1960年代、更なる飛躍の時期

ここまで、一見順調そうなサントリーの歩みですが、1960年代に入ると、第二の創業とも言うべき、更なる飛躍の時期を迎えます。

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その舵を取ったのが、二代目社長の佐治敬三。
ウイスキーブームで潤う会社の現状に危機感を覚えた敬三は、「このまま胡坐をかいていてもいいのか」と、あえての挑戦を始めます。
それがビール事業への参入です。
ザ・プレミアム・モルツが生まれた場所としても知られる武蔵野ビール工場を開設したのもこの頃のことです。

ビール事業参入時の裏話や写真も大変興味深いものがたくさんありました!気になる方はぜひアーカイブ動画でチェックしてくださいね。

また、敬三は芸術分野への関心が高く、利益三分主義の取り組みとして1961年にサントリー美術館を開館するなど、日本の芸術分野にも多大な貢献を果たしました。

「佐治敬三は『人の生活を豊かにするということは、すなわち芸術分野も含め心を豊かにするということ。こうした豊かな生活の中で、お酒も人の生活を豊かにするものの一つとして楽しんでもらうことができる』という理想を抱いていました。だからこそ、もっとたくさんの人に文化に親しんでほしいという思いでこうした活動に積極的に取り組んでいたのです」(Byタンさん)

1980年代、生活文化企業へ

1980年代に入ると、事業の多角化が始まります。お酒だけでなく、清涼飲料水も手掛けるようになったのです。
1981年には、「サントリーウーロン茶」を発売。缶のお茶を買って飲むという、それまであまり馴染みのなかった文化を生活の中に根づかせるきっかけを作ったのも、この時でした。
また、国外でワイナリーを経営したり、ビール工場を開設したりと、海外へも活動の幅を広げていきました。
そして「利益三分主義」の分野では、引き続き、文化芸術分野への参画が続きます。サントリーホールが開設されたのは、1986年のことでした。

……と、ここでまたまたクイズタ~イム!

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第2問:サントリーホールに設置されているパイプオルガン。パイプの数は何本でしょう?
目を皿にして画像をよ~く見てみてくださいね!

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タク
チク
タク
チク
タク
チク
タク

正解は……「5,898本」でした~!
画像からは全く想像がつきませんでしたね!レポート班からのひっかけに引っ掛からず正解できた方はいらっしゃったでしょうか(笑)
正解した方には、マル・デ・シャインスタッフ一同からの心からの拍手を贈ります!(パチパチパチパチ……)

東京で初めての本格的なコンサート専用ホールとして開設されたサントリーホール。佐治敬三は世界各国のホールを見てまわり、各ホールのマエストロにも話を聞いてまわったそうです。あるとき、世界的マエストロ ヘルベルト・フォン・カラヤンにパイプオルガンは必要かどうかを尋ねてみたところ、

『オルガンのないホールは、家具のない部屋と一緒だ。』

と言われ、パイプオルガンの設置を決断したという逸話が残っています」(Byタンさん)

カラヤンさん、ナイスアドバイスをありがとうございます!!
「〇〇のない〇〇は、家具のない部屋と一緒だ。」という名言とともに、このトリビアはいつかどこかで活用させていただきます!

1990年代、新たな市場の創造、そして環境活動へ

1990年、鳥井信一郎が三代目社長に就任します。
この時代に、缶コーヒーの「BOSS」や健康食品の「セサミン」など、現在でもお馴染みの商品が発売しました。
一方で、「利益三分主義」の取り組みは、文化芸術から環境の分野へとシフトしていきます。
サントリーの愛鳥活動の一環である「サントリー愛鳥基金」が創設されたのは、1990年のことでした。

ここで、コーヒーブレイクということで、「BOSS今昔物語」をご紹介します。

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上の写真は、発売当初(ウエダさん側)と現在のBOSS(タンさん側)、新旧のデザインを並べたものです。初代の缶も30年近く前のデザインとは思えないぐらい、まったく古びた感じがしないですよね。
「発売当初は、『働く男の味方』ということで、男性労働者をメインターゲットにした商品だったのですが、近年は、ゆっくりと少しずつ楽しめるようなタイプの商品も多数発売しています。働き方改革という時代の波に合わせ、実はBOSSも少しずつ変わっていっているのです」(Byタンさん)

2000年代、更なる躍進のとき

それではここで、本日最後のクイズタ~イム!!!

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第3問:サントリーグループの企業理念は何でしょう?

もしかしたらCMなどで聞いた覚えのある方もいるかもしれませんね。
前半の●が漢字1文字、後半は漢字2文字です。
それではレッツ・シンキング!

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タク
チク
タク
チク
タク
チク
タク

正解は……「人と自然と響き合う」でした~!

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これは2003年に、四代目社長・佐治信忠(現会長)が制定した企業理念です。

三代目社長・鳥井信一郎に引き続き、佐治信忠も2001年に社長に就任して以来、「利益三分主義」の一環として南阿蘇に「天然水の森」をオープンさせるなど、人と自然に寄り添うことを大切にしてきました。
「やってみなはれ」の取り組みとしては、緑茶「伊右衛門」の発売や、青いバラの開発に世界で初めて成功したことなどが挙げられます。
また、「ザ・プレミアム・モルツ」がモンドセレクション最高金賞を受賞するなど、苦戦してきたビール事業もこの頃飛躍の時を迎えました。

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「こちらが、青いバラの写真です。バラにはもともと青色色素のデルフィニジンがないということで、自然交配では青いバラを生み出すことは不可能だったのです。現に英語では『ブルーローズ』という言葉は、『不可能』『存在しないもの』を意味していたといいます。サントリーでは、『幸せを象徴する青い花を作って世の中を明るくしたい』という思いのもと、1990年から14年かけてようやく青いバラをつくり出すことに成功したのです」(Byタンさん)

まさに、サントリーの「やってみなはれ」精神を代表するような夢のある取り組みですよね。
ちなみに、セミナーの後で個人的に調べてみたところ、青いバラの花言葉は「夢かなう」になったらしいです。

このあと、2010年代に「やってみなはれ」「利益三分主義」ともに、グローバル化が加速したこと、そしてサントリーの次なる挑戦がタンさんの口から語られたのですが、今回はダイジェスト……ということで、割愛させていただきます(ゴメンナサイ!)。
この記事を読んでサントリーのことがもっと知りたくなったという方は、お時間のあるときに、配信中のアーカイブ映像をご覧いただけると嬉しいです。

サントリーのこと、もっと聞かせて!~Q&A編~

最後に、参加された皆さんからの質問に、タンさん(とウエダさん)が答えてくれました!

Q.赤玉パンチのネーミングの由来を教えてください。

A.最初に「赤玉パンチ」が発売されたのは、1977年のことでした。当時の赤玉パンチはフルーツジュースが入った新感覚のワインというコンセプトだったので、赤玉ポートワインの「赤玉」と、フルーツポンチの「ポンチ」を変化させた「パンチ」を組み合わせて命名されたと伝わっています。ちなみに、現在の赤玉パンチは、赤ワインのソーダ割りというコンセプトになっています。

Q.サントリーの名前の由来は?

A.いい質問をありがとうございます。サントリーは、太陽を意味する英語「サン」と、創業者である鳥井信治郎の「トリイ」を組み合わせてつけられた名前です。
現在のサントリーのロゴは、よく見ていただくと“Sun(太陽)”の“u”と“n”が小文字になっています。“TORY”は苗字なので、海外の表記にならってすべて大文字になっています。

Q.ビール事業は長らく低迷していたとのことですが、起死回生のきっかけとなったザ・プレミアム・モルツの開発に懸けた思いをお聞かせください。

A.ザ・プレミアム・モルツの生みの親は、ビール醸造家の山本隆三です。ザ・プレミアム・モルツが生まれる以前は、軽めの飲み口のビールが主流でした。そこで山本は、「世界最高峰のビールをつくりたい」「今のビール業界に一石を投じるぐらいインパクトのある最高品質のビールをつくりたい」という思いを胸にビールを開発しました。原料にも徹底的にこだわり、ガツンとした苦みがありつつも、すっと抜けていくような味わいや、ホップの香り豊かな味わいにこだわってつくられたのが、ザ・プレミアム・モルツです。
ザ・プレミアム・モルツは、2005年に日本のビールで初めてモンドセレクションの最高金賞を受賞するという高い評価もいただき、ブランドの地位を確立することができました。

Q.太平洋戦争中はウイスキーの販売は許されていたのでしょうか?

A.許されていました。ただし、戦況が厳しくなってからは、主力の工場では航空機用の燃料を作るようにという国からの要請に従っていたといいます。ちなみに日本海軍はイギリスから技術を学んでいたこともあり、ウイスキーを好んで飲まれる方が多かったということで、海軍のマークである錨の模様をつけた特製のウイスキーを発注していただき、納入していたとのことです。

Q.赤玉ポートワインのポスターのモデルの女性はどなたですか?

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A.この写真ですね。日本で初めてのヌードポスターということで、当時は非常に斬新な広告として話題になりました。モデルは松島栄美子さんといい、先ほどご紹介した赤玉楽劇座のプリマドンナを務められた方でもあります。
このポスターは非常に芸術的な価値が高いということで、ドイツの世界ポスター展でも1位を獲得しました。

Q.「天然水の森」には、一般の人も入ることができるのでしょうか?

A.「森と水の学校」など天然水の森で開催されるプログラムにご参加いただければ、一般の方でも入ることはできます。現在はコロナ禍ということで、プログラムを一時的に休止していますので、また再開した際にご参加いただければと思います。

Q.この「やってみなはれ」の文字は誰が書いたのでしょうか?かっこいいですね!

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A.これは、四代目社長で現会長の佐治信忠が書いたものです。左下の印をよく見ていただくと、名前が書いてあります。この文字は、実はサントリー社内の壁にも貼られていたりします。

▼実際の写真です。ここ以外にも複数個所に貼ってありますよ!

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Q.サントリーの今一番オススメのお酒は何ですか?

A.【ウエダさん】サントリーとしては全部がオススメなので(笑)、ここでは僕たちが個人的にオススメするお酒を紹介します。ちなみに、タンさんが一番好きなお酒は何ですか?
【タンさん】最近よく飲んでいるのは、「翠」というジンです。リーズナブルだし、炭酸で割ってレモンを絞るとおいしいです。瓶も映えるので、部屋に置いておくとオシャレ感も出ます(笑)。

【ウエダさん】僕は、ザ・プレミアム・モルツ〈香る〉エールが好きで、一杯目は必ず〈香る〉エールを飲みます。また最近は「大隅」の麦焼酎が好きで、ソーダで割って飲むのにハマっています。レモンを絞って飲むのがオススメです。

余談ですが、放送終了後スタッフ全員で立ち話をしているときに、ウエダさんの大隅推しにみんなから「渋いね~」という絶賛の嵐が起きていました(笑)

おまけ

最後までお読みくださり、ありがとうござました!
さて、お気づきかと思いますが、今回のセミナーはグリーンバックで背景を合成しながらライブ配信していました。では実際に、ウエダさんとタンさんがどんなところでお話していたかというと……

ジャジャーン!

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こんな感じでした~!
ウエダさんが両手を広げても、まだまだたっぷりと余裕があります。
現場では「貴重なウエダさんの私服ショットだ~」なんて言いながら写真を撮っていたのですが、改めて見たらTシャツなので「マルデTシャツ」とほぼ変わらなかったですね(笑)
ちなみに、本番前に私たち取材班もウエダさんが立っている場所まで行ってみたのですが、頭上の大きなライトに照らされているせいか、そこだけ温度が高くてびっくりしました!
ウエダさん・タンさんの爽やかな笑顔の裏に隠された努力があったことをお伝えできていますと幸いです。

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最後に、本番終わりに「あっという間でした~」と感想を語ってくれたタンさんを控室でパシャリ!

ウエダさん、タンさん、ご参加くださった皆さま、おつかれさまでした~。
読んでくださった皆さま、また次のイベントレポートでお会いしましょう!レッツ、シャイン!


今なら全編公開中!アーカイブ動画はこちら。


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